言葉の窓から

今日は,どんな景色が見えるだろう。

あなたの時間とわたしの時間

昼休みに,連休明けの先輩を交えてご飯を食べた。

休みの間に韓国へ旅行をしてきたらしい。

お土産話を聴きながら、なんとももどかしいあの感覚を思い出した。

 

初めて学校に遅刻した時のこと。

完全なる寝坊である。

起きて目にした時間を理解するのに,いつもより1秒多くかかった。

あと15分で授業が始まる。

家から学校まで,自転車をとばせば10分で行ける。

間に合うか。

 

いや、間に合うわけがない。

 

じゃあどうする。

 

これは遅刻だ。

 

どれだけ急いで準備して行っても、遅刻だ。

 

まだ,授業は始まってないのに―――。

 

この感覚。

その後急いで追いつこうとするか,あきらめの気持ちにすっぽり包み込まれてしまうかは,人やその時の状況にも依るだろう。

 

ただ,あの瞬間の,あのもどかしさは何たるものか。

 

先輩は、飛行機に乗り遅れた。

空港まで2時間近くの所に住んでいて,目覚めた時間が離陸1時間前。

「どこでもドアが欲しい!」

どこでもドアは,あの瞬間に身を置いた人がその瞬間に思いついたに違いない。

 

私とは別のところで動いている「時間軸」がある。

初めて学校に遅刻した時,強く意識した。

その時間軸に,私はいない。

 

私たちはいつも当たり前のように、人と会う。

物を見る。

音を聴く。

動きや変化があるほど「時間軸」は合わせにくい。

世の中は,「時間軸」の絡み合いでできている。

 

旅行会社の助けを得て、なんとか当日中に着くことが出来た先輩にもらったお菓子は、その見た目から抱いた躊躇いなど必要ないくらい、美味しかった。

 

それでは,また。