言葉の窓から

今日は,どんな景色が見えるだろう。

「えらい」という感情をどうしたらいいのか

今週末,私の家に妹が遊びに来る。

その打ち合わせの電話をしたら,彼女の大学生活の話になった。

 

妹は今大学2年生で,私と同じように実家を離れて一人暮らしをしている。

その妹が,大学の友だちと心の距離を縮められないというのだ。

彼女は「方言で話せないから」だと言った。

私も,それに強く共感できた。

 

私たちの地元にはたくさんの方言がある。

中学生の時,新しく赴任してきた先生が「みんなが何を話しているのか分からない時がある」と話した時のあの少し困惑した顔は忘れられない。

先生が知らない言葉を話していることに,ちょっとした誇らしさを抱いたのは私だけではないだろう。

 

私たちは,テレビで取り上げられるまではいかない,なんとも中途半端な方言を話す。

けれどもそんな,中途半端なんて言葉では片付けられない方言が一つある。

それが「えらい」という感情。

 

 

この「えらい」はとても厄介な言葉である。

何が厄介なのかというと,まず一つ目,標準語に訳すことができないのである。

一応,便宜上,どうしても標準語にしなければならないのであれば「辛い,しんどい,だるい」あたりに近い意味をもつ(「しんどい,だるい」も方言だという説もある)。

だがしかし「えらい」は「辛い」わけでも,「しんどい」わけでも「だるい」わけでもないのだ。

 

そして二つ目の厄介な点は,この言葉がいわゆる負の感情のほとんど(9割といっても過言ではない)を表すものだということにある。

方言が通じない人にこの気持ちを伝えたいと思ったとき,「えらい」では伝わらないから私たちは他の言葉で表そうとする。

しかしながらどうしても適切な表現がない。

結局どうするかというと,その感情を自分の中に溜めてしまうのである。

 

この記事を書いていて,私たちが「えらい」という言葉をいかに頻繁に遣ってきたのかに気付かされた。

そしてそれと同時に,「えらい」という言葉を遣えないのであれば,自分たちの感情の半分くらいを表すことができないということに気付いた。

 

今日,ようやく腑に落ちたことがある。

私も地元を離れて大学に通い始めてから,「みどりはヘルプ要請が苦手だ」と周囲の人に言われるようになった。

高校までは全くといっていいほど言われなかった言葉である。

大学時代にそう言われて,確かに大学の友人や先輩後輩にはヘルプ要請をほとんどしていなかったし,昔からなんでも自分でやりたがりだったこともあったから,私はヘルプ要請が苦手なのかもしれないと思っていた。

 

そうか,方言が通じないことも一つの理由かもしれない。

今日そう気づいて私は,いくらか心が軽くなった。

 

私はなかなか周りの人にヘルプ要請ができない。

それは,「辛い」とか「しんどい」とか「だるい」という感情が,どういう感情なのか本質的に分かっていないからだと思う。

この程度で,「辛い」と言っていいものなのか。

いや,「辛く」はない,と自己完結する。

 

ヘルプ要請が苦手,なのではなくて,したいのにできていなかったんだなあと自分の気持ちに気づいてあげられることができて,良かった。

 

今週末はお互い「えらいえらい」言い合おう,と妹に言ってから電話を切った。

それにしてもこんな大事な感情が方言って困る。

だからこそ,なのかもしれないけれど。

 

 

それでは,また,よろしく。