言葉の窓から

今日は,どんな景色が見えるだろう。

私のお墓と岩盤浴

あそこのお墓,たぶん土葬だよ。

え,うそ,怖い。

地元の岩盤浴に行く途中,家族5人が乗った車の中。

母と弟のやりとりが始まった。

土葬と火葬以外にさ,他に何があるの?水?

と弟が聞くので,うん,本か何かで,水葬っていうのがあるって読んだことあるよと私が答えると,え,骨を撒くやつじゃなくて?事件とか事故だと思っちゃわないのかな,と一人驚いていた。

 

私は嫌や。でも,普通のお墓も嫌。

さっきまでスマートフォンの画面を指でなぞっていた妹が,窓から見える墓石を見ながら会話に入ってきた。

ペンダントとかにしてもらう人もいるよね,と言う妹に,でもそれを渡すのは重いよね,と母が続ける。

確かにね,と応じる妹の言葉に重ねるように,母が昔から私たちに聞かせてきた話が始まった。

私は,北山家のお墓に入りたくないな。お墓の中でまで北山家の人と一緒に行きたくない。

 

そうだよねえ,親戚付き合い面倒くさそうだよね。

こんにちは,あなたはこの世歴何年ですか,とか言って。

まあ,結構長いんですね,これからよろしくお願いします,とかいう会話から始めなあかんのかな。

なんて私と弟がわざと茶化してみせたけれど,やはり母は本気だった。

無理もない。そこにいる全員が知っていた。

 

私は,昔,母がどこか一人で入るお墓を作ってほしいと言っていたことを思い出した。

母が同じことを言う前に,私も嫁いだ先のお墓には入りたくない,と言った。

ままと同じお墓に入りたいな。

今思えば,家族全員の前でなかなか大胆な発言だった。

けれど,だれも反対しなかった。

母は話を逸らして,将来○○(弟)が家を建てたら,そこの庭に骨を埋めてほしい,立派なお墓はいらないから,そうだなあ,カブトムシを庭に埋めた時みたいに,割りばしに名前を書いてくれるだけでいいから,と言って弟の反抗を誘い,車内に笑いを起こした。

 

嫁いだ先のお墓に入りたくない,というのは私も本気だった。

問題はその次に出てきた言葉。

私が母と同じお墓に入るとしたら,他の3人は?

 

今回の帰省中,家族に対しての感情がまた少し変わった気がした。       

私にとって家族とは何なのか,その質問にはまだ答えられない。

けれど「もっとこの5人で居たい」とこれほどまで強く思ったことは,間違いなく初めてだった。

 

10年前,一度崩壊した家族に対して,こんな気持ちを持てるようになるとは思ってもいなかった。

過去に起こったことは変わらないし,肯定したくないことも山ほどある。

だけど「いま」は変わるんだな,と思ったら,なぜか涙が出てきた。

岩盤浴の中で良かった。

 

それでは,また。