言葉の窓から

今日は,どんな景色が見えるだろう。

大学生の本分

ああもう暑い,久しぶりに会って第一声がこれだった。そうやね,今日確かに暑いね。この前買ったばかりだという大きな黒いリュックを背負ってやって来た妹に,私は当たり障りのないことばを返した。何がそんなに入ってるの,と私が訊くと,そんなに入ってないよ,あ,でも,レポート書かなきゃいけなくて,と言う。え,今日これから書くの,とつぶやき,久しぶりにゆっくり話ができると思っていた私は少し残念な気持ちになった。

 

でも,もう書くことは作ってきたから,あとはレポート用紙に書き写すだけ。そう言って筆記用具を取り出して,スマホのメモアプリを起動した妹に私は訊いた。え,レポート手書きなの?確かに私も手書きで提出したことがあった気がするけど,面倒くさくない?と言うと,ほんとにそう!なんか,コピペを防ぐためだって,と教えてくれた。コピペねぇ,そんなの手書きでもできちゃうのにねえと私が言うと,妹はほんと,ほんと,と言いながら,すでに三行目まで写していた。

 

私はテレビを見ながら,妹の様子を横目で見ていた。書き始めてから,はや1時間。一向に終わりそうな気配はない。あと30分経ったらお風呂入れるよ,と言うと,う~ん,といつもの力のない声が返ってきた。言葉の意味は読み取れたけれど,それについて考える暇なく返事をした時の声。強く言い返せるわけもなく,テレビをつけたまま本を読んだり,スマホをいじったりしていると,ちょっと,テレビあると集中できん,と言われた。確かにそうか,と言いながら私はテレビを消した。

 

約束の時間を20分過ぎて,2人でお風呂に入った。何度もお湯を沸かすのはもったいない,という母の教えを2人して律儀に守る。お互い,実家で守ったことなど思い出せるほどしかないけれど。

 

私が身体を洗っていると,妹が最近始めたアルバイトについてぽつりぽつりと話はじめた。私が働いてるところは21時までなんやけどね,近くの店舗に行って欲しいって言われた友達がいて,その子は23時まで働いてるんだって,独立店舗だから,と言う。しかも,22時から23時の間は給料上がるんだって,と言うから,私は,ああ,深夜手当ってやつやね,と返した。私は,妹が給料のことを気にしていることに前から薄々気づいていた。アルバイトも,渋る妹に母が何度も言い聞かせて始めたのだ。

 

後期からまた忙しくなるからさ,今のうちにシフト入れなきゃなあ,と言う。聞きながら,アルバイトを始めて,勉強の時間がとれなくなって,ただでさえ規則正しくない大学生活がだんだんと乱れていった自分のことを思い出していた。今日,朝の3時までレポート書いてたんだよねえ,だからもう眠い,と,さっきスマホの画面を見ながらレポートを書き始めた時に言っていた妹の言葉を思い出した。

 

無理してアルバイトするくらいなら,お姉ちゃんがちょっとはお金あげるから。喉まで出かかった,その時一番言いたかった言葉も,社会人一年目の私には言えなかった。大学生は勉強してればいいんだから。それが本分,と自分にも言い聞かせるように言って,そうやねえ,と半分腑に落ちていないような妹の言葉を聞きながら,肩からお湯を流した。