言葉の窓から

今日は,どんな景色が見えるだろう。

私たちの家のお話

今日,夕食を買いに行ったついでに本屋で立ち読みをした。

とある雑誌の「家」の問題についての記事に目が留まった。

“住宅政策”がなんとか。

実は“政策”の類については結構興味があるのだけれど,今日はその前についている言葉が気になった。

「家」ってなんだろう。

 

私は最近2年ぶりに一人暮らしを始めた。

とある場所にある,とあるアパートだ。

十くらいの部屋があるうちの一部屋で,私は今日もひっそりと暮らしている。

 

「家」は,究極的にいえば外界とプライベートな空間を仕切るためにあるものだろう。

争いが頻繁に起きていた時代は,「家」は敵から身を守り,雨風を凌ぐ「守り」の役割が強かったのだと思う。

 

今はどうだろう。

「守り」の機能は確実に存在する。

家の外と,家の中がたった一枚の壁でしか区切られていないことに初めて意識を向けた子どもの頃,身震いしたことを今も覚えている。

壁に課せられている役割の重さに驚愕した。

 

一方で,「家」は「守り」のためだけにあるものではない。

家族やパートナーと会話をする。

友人を招く。

机に向かって勉強をする。

お風呂に入って疲れを癒す。

睡眠を取って,翌日,また活動する。

挙げ始めたらきりがない,「家」がもつ役割。

人々が「家」に与えている役割の多様性は計り知れない。

 

私にとってこの家は,安心できる場所。

外ではできないおバカなことも,行儀の悪いことも,やっていいよと許されている,そんな最高な場所。

家に着いたら久しぶりに掃除でもするかな。

 

こんなことを考えていたら,自転車に乗せていた卵を,道路の段差でうっかり落として,半分がぐしゃぐしゃになってしまった。

夕食は急きょオムライスになったとさ。

 

それでは,また,よろしく。