流れに身をまかせて
ねえ,お昼ごはん何食べる?
迷ったらいけないから,と寝る前に決めた時間に家を出た私と妹は,電車に揺られながら今日行くところを考えていた。映画が終わる時間何時だっけ,12時過ぎくらい?うん,確か,と言いながら,昨日予約したチケットの日時が間違っていないことを確認した。
そうだなあ,雑誌とかで見るあのお洒落なハンバーガーが食べたい,と言った妹に,私はさすが女子大生,と返したもののその後の言葉が思いつかなかった。
まさかこんな形であのお洒落なハンバーガーを食べることになるとは思ってもいなかった。まだ,生クリームがのったパンケーキも,蜂蜜がたっぷりかけられているフレンチトーストも食べていないのに。妹は,私と違って流行に上手く乗っていく。今日の朝も服を着替えながら,ちょっとカジュアルすぎるかな,とか言いながら自分の背格好にあったお洒落な白いTシャツとくるぶし丈のジーンズをはいて鏡の前でポーズを取っていた。
私は,妹と違ってその時の流行に上手く乗れない。テレビやSNSで大きく取り上げられているものを知らないわけではない。おいしそうだなあ,お洒落だなあ,あんな服が着られたらなあと思う。自分の予算が許す範囲で,素敵な服を買おうともしている。それなのに。大学時代から付き合っている彼氏には,そのダサさがみどりの良さだよね,とか言われるし,ゴールデンウィークに実家に帰った時は母に,なんでそんな服買っちゃったの,と言われた。おかしい。妹よりお金をかけていないなんてことはないし,最高の組み合わせだと思ってレジまで持って行ったのに。
2名でお待ちの北山さん,お待たせしました。30分くらいお店の外で待っていて,ようやく席に案内してもらえた。メニューを見ると,普通のハンバーガーの下に様々なトッピングを加えたハンバーガーが並んでいる。妹が,私はチーズバーガー,飲み物は,お水でいいや,と言う。私もそうしよ,とつぶやいて店員さんに目配せをする。
運ばれてきたチーズバーガーは,私がこれまで食べたことのあるそれと全く違った。中の具材がよく見えるように一番上のパンはずらして置いてあるし,何よりチーズが黄金色に光っている。これは確かに写真に残したくなる。ジューシーなお肉に絡まったチーズはハンバーガー全体の味をまろやかにし,同じお皿に添えられていたポテトは,暑くて汗を流しながら待っていた身体に絶妙な塩加減だった。
お腹いっぱい,次どこ行く?満足そうな妹の横顔を見ながら,たまにはこういうことも悪くないな,と思った。自分一人では乗れない流れに乗せてもらう。手を引っ張ってもらう。そうしたら自分の世界が広がる。自分でできないならそれでいいか,と一人納得しながら,行ってみたかった大きな本屋さんに向かって歩いて行った。
大学生の本分
ああもう暑い,久しぶりに会って第一声がこれだった。そうやね,今日確かに暑いね。この前買ったばかりだという大きな黒いリュックを背負ってやって来た妹に,私は当たり障りのないことばを返した。何がそんなに入ってるの,と私が訊くと,そんなに入ってないよ,あ,でも,レポート書かなきゃいけなくて,と言う。え,今日これから書くの,とつぶやき,久しぶりにゆっくり話ができると思っていた私は少し残念な気持ちになった。
でも,もう書くことは作ってきたから,あとはレポート用紙に書き写すだけ。そう言って筆記用具を取り出して,スマホのメモアプリを起動した妹に私は訊いた。え,レポート手書きなの?確かに私も手書きで提出したことがあった気がするけど,面倒くさくない?と言うと,ほんとにそう!なんか,コピペを防ぐためだって,と教えてくれた。コピペねぇ,そんなの手書きでもできちゃうのにねえと私が言うと,妹はほんと,ほんと,と言いながら,すでに三行目まで写していた。
私はテレビを見ながら,妹の様子を横目で見ていた。書き始めてから,はや1時間。一向に終わりそうな気配はない。あと30分経ったらお風呂入れるよ,と言うと,う~ん,といつもの力のない声が返ってきた。言葉の意味は読み取れたけれど,それについて考える暇なく返事をした時の声。強く言い返せるわけもなく,テレビをつけたまま本を読んだり,スマホをいじったりしていると,ちょっと,テレビあると集中できん,と言われた。確かにそうか,と言いながら私はテレビを消した。
約束の時間を20分過ぎて,2人でお風呂に入った。何度もお湯を沸かすのはもったいない,という母の教えを2人して律儀に守る。お互い,実家で守ったことなど思い出せるほどしかないけれど。
私が身体を洗っていると,妹が最近始めたアルバイトについてぽつりぽつりと話はじめた。私が働いてるところは21時までなんやけどね,近くの店舗に行って欲しいって言われた友達がいて,その子は23時まで働いてるんだって,独立店舗だから,と言う。しかも,22時から23時の間は給料上がるんだって,と言うから,私は,ああ,深夜手当ってやつやね,と返した。私は,妹が給料のことを気にしていることに前から薄々気づいていた。アルバイトも,渋る妹に母が何度も言い聞かせて始めたのだ。
後期からまた忙しくなるからさ,今のうちにシフト入れなきゃなあ,と言う。聞きながら,アルバイトを始めて,勉強の時間がとれなくなって,ただでさえ規則正しくない大学生活がだんだんと乱れていった自分のことを思い出していた。今日,朝の3時までレポート書いてたんだよねえ,だからもう眠い,と,さっきスマホの画面を見ながらレポートを書き始めた時に言っていた妹の言葉を思い出した。
無理してアルバイトするくらいなら,お姉ちゃんがちょっとはお金あげるから。喉まで出かかった,その時一番言いたかった言葉も,社会人一年目の私には言えなかった。大学生は勉強してればいいんだから。それが本分,と自分にも言い聞かせるように言って,そうやねえ,と半分腑に落ちていないような妹の言葉を聞きながら,肩からお湯を流した。
あの日起こったビッグバンを困らせたい
私が見ている,感じている世界は全て映像なのではないか。
こんな感覚に陥ることが度々ある。
今日,玄関で靴をはこうとした時にも,その感覚に襲われた。
玄関で,しゃがんで,靴をはく。
至ってシンプルな行動をしている時に,ふとやってくる。
大学1年生の時,文系のための理系科目,みたいな講義があった。
その時間に私は物理学を履修した。
私は生物が好きで(というか生物以外の理系科目はさっぱりで),履修登録の第一希望を生物学にして提出したのに。
「物理学」を担当してくれる教授は,いつも講義室に入ってきてから出ていくまで,一人で何かぶつぶつ,ぶつぶつと言葉を発していた。
たまに思いついたように黒板に書くものも,なんだか分からない記号ばかりが並んでいて,私はいつもキツネにつままれたような気持ちで座っていた。
ある日教授が,古典力学の話をした。
「古典力学では,この世のあらゆる物質の存在,動きは,宇宙でビックバンが起きたあの時に,全て決められたと考えます。だから私が今ここでみなさんに話をしているのも,今チョークを投げてみたのも(なぜかその教授はチョークを投げるのが好きみたいだった),みんな決まっていたことだ,というのです。」
私は驚いた。
教授は文系たちの集まりに向かって話してくれたから,いささか古典力学の考え方と一致していない部分があるかもしれないけれど,とにかく彼のその説明が,私の心を動かした。
私たちの周りには,運命,なんて使い古された言葉がある。
だけれどそれよりもっと繊細で,決定的な考え方があった。
しかもそれがこれまで敬遠していた理系科目の中にあった。
なんてことだ。
私は。昔も今も,過去や未来にこだわりすぎて,後悔や不安につぶされそうになることがある。
そういう時に,こう考えると気楽になれる。
見ている世界は映像なのだ,と。
映像の世界に生きる私は,過去や未来から自由になれる。
どうせ今が変わらないのなら,今の映像をしっかり見ておいてやろう。
感じておいてやろう。
あの日,私が見ている映像を決めた宇宙が困ってしまうくらい,今にこだわってやろう。
それでは,また,よろしく。
夢のなかの私の顔
最近,よく,夢をみる。
毎日平均2本立て。
朝起きて,食パンを焼いて,コーヒー牛乳を飲むくらいまではなんとなく覚えているから,結構しっかりみているようだ。
私の夢は,「人」が出てくることが多い。
久しく会っていない小中学校の同級生から,その日お会いした方までさまざま。
楽しく話している夢をみることもあれば,目が覚めた時にちょっと疲れている時もある。
いずれにしろ最近の私は,現実の世界だけでなく寝ている時もどこか違うところに生きている気がする。
今日の朝,コーヒー牛乳を飲みながらふと,夢の中の私はどんな表情をしているのか気になった。
現実の世界の私は,久しぶりに会った人,初めてお会いした人とお話しするときに結構エネルギーを使っている。
その人の最近を知っていない分,言葉を必死に選んで,時には表情も作って目の前に居続ける。
別れた後は,気に障ることを言わなかったか,話題に応じた表情ができていたか,いちいち考えてしまう。
それが夢の中ではどうだろう。
目の前の相手が何を思っているだろうか,なんてことを考えた覚えはない。
ここは笑顔を見せないと,なんて思ったこともない。
夢の中の私は,いったいどんな顔をしているの?
現実の世界ではできないような,ストレートな行動ができる夢の中の私をちょっぴり羨ましく思うことがある。
今日また夢をみることができたら,鏡を探してみよう。
鏡に映った私の顔に,その時の気持ちが素直に表れていたらいいな。
おやすみなさい。
それでは,また,よろしく。
「えらい」という感情をどうしたらいいのか
今週末,私の家に妹が遊びに来る。
その打ち合わせの電話をしたら,彼女の大学生活の話になった。
妹は今大学2年生で,私と同じように実家を離れて一人暮らしをしている。
その妹が,大学の友だちと心の距離を縮められないというのだ。
彼女は「方言で話せないから」だと言った。
私も,それに強く共感できた。
私たちの地元にはたくさんの方言がある。
中学生の時,新しく赴任してきた先生が「みんなが何を話しているのか分からない時がある」と話した時のあの少し困惑した顔は忘れられない。
先生が知らない言葉を話していることに,ちょっとした誇らしさを抱いたのは私だけではないだろう。
私たちは,テレビで取り上げられるまではいかない,なんとも中途半端な方言を話す。
けれどもそんな,中途半端なんて言葉では片付けられない方言が一つある。
それが「えらい」という感情。
この「えらい」はとても厄介な言葉である。
何が厄介なのかというと,まず一つ目,標準語に訳すことができないのである。
一応,便宜上,どうしても標準語にしなければならないのであれば「辛い,しんどい,だるい」あたりに近い意味をもつ(「しんどい,だるい」も方言だという説もある)。
だがしかし「えらい」は「辛い」わけでも,「しんどい」わけでも「だるい」わけでもないのだ。
そして二つ目の厄介な点は,この言葉がいわゆる負の感情のほとんど(9割といっても過言ではない)を表すものだということにある。
方言が通じない人にこの気持ちを伝えたいと思ったとき,「えらい」では伝わらないから私たちは他の言葉で表そうとする。
しかしながらどうしても適切な表現がない。
結局どうするかというと,その感情を自分の中に溜めてしまうのである。
この記事を書いていて,私たちが「えらい」という言葉をいかに頻繁に遣ってきたのかに気付かされた。
そしてそれと同時に,「えらい」という言葉を遣えないのであれば,自分たちの感情の半分くらいを表すことができないということに気付いた。
今日,ようやく腑に落ちたことがある。
私も地元を離れて大学に通い始めてから,「みどりはヘルプ要請が苦手だ」と周囲の人に言われるようになった。
高校までは全くといっていいほど言われなかった言葉である。
大学時代にそう言われて,確かに大学の友人や先輩後輩にはヘルプ要請をほとんどしていなかったし,昔からなんでも自分でやりたがりだったこともあったから,私はヘルプ要請が苦手なのかもしれないと思っていた。
そうか,方言が通じないことも一つの理由かもしれない。
今日そう気づいて私は,いくらか心が軽くなった。
私はなかなか周りの人にヘルプ要請ができない。
それは,「辛い」とか「しんどい」とか「だるい」という感情が,どういう感情なのか本質的に分かっていないからだと思う。
この程度で,「辛い」と言っていいものなのか。
いや,「辛く」はない,と自己完結する。
ヘルプ要請が苦手,なのではなくて,したいのにできていなかったんだなあと自分の気持ちに気づいてあげられることができて,良かった。
今週末はお互い「えらいえらい」言い合おう,と妹に言ってから電話を切った。
それにしてもこんな大事な感情が方言って困る。
だからこそ,なのかもしれないけれど。
それでは,また,よろしく。
私たちの家のお話
今日,夕食を買いに行ったついでに本屋で立ち読みをした。
とある雑誌の「家」の問題についての記事に目が留まった。
“住宅政策”がなんとか。
実は“政策”の類については結構興味があるのだけれど,今日はその前についている言葉が気になった。
「家」ってなんだろう。
私は最近2年ぶりに一人暮らしを始めた。
とある場所にある,とあるアパートだ。
十くらいの部屋があるうちの一部屋で,私は今日もひっそりと暮らしている。
「家」は,究極的にいえば外界とプライベートな空間を仕切るためにあるものだろう。
争いが頻繁に起きていた時代は,「家」は敵から身を守り,雨風を凌ぐ「守り」の役割が強かったのだと思う。
今はどうだろう。
「守り」の機能は確実に存在する。
家の外と,家の中がたった一枚の壁でしか区切られていないことに初めて意識を向けた子どもの頃,身震いしたことを今も覚えている。
壁に課せられている役割の重さに驚愕した。
一方で,「家」は「守り」のためだけにあるものではない。
家族やパートナーと会話をする。
友人を招く。
机に向かって勉強をする。
お風呂に入って疲れを癒す。
睡眠を取って,翌日,また活動する。
挙げ始めたらきりがない,「家」がもつ役割。
人々が「家」に与えている役割の多様性は計り知れない。
私にとってこの家は,安心できる場所。
外ではできないおバカなことも,行儀の悪いことも,やっていいよと許されている,そんな最高な場所。
家に着いたら久しぶりに掃除でもするかな。
こんなことを考えていたら,自転車に乗せていた卵を,道路の段差でうっかり落として,半分がぐしゃぐしゃになってしまった。
夕食は急きょオムライスになったとさ。
それでは,また,よろしく。
初めての投稿。
初めて,ブログを開設。
右も左も分からないことのスタート。
確か中学生のころ,初めてブログの流行りが来たけれど,その子たちのように携帯電話を持っていなかったから「そんなものがあるんや,へー」と思っていただけだった。
その時の私に今を伝えたらなんて言うだろうか。
「え,うそ,考えられない。え,ほんとに?」
絶対信じてもらえない。
最近初めてお会いした方から,ブログの魅力を教えてもらった。
“人が見ている世界で,自分の文章を書くこと。”
いつか,自分の言葉を社会に発信出来たらいいな。
そんな『いつか』をこんな形で迎えるとは想像すらしていなかった。
初めて覗いてみたブログの世界は,私が考えていたよりもずっと広大で,中にはたくさんの人がいた。
まずは書いてみよう。
そして,伝えてみよう。
これから,どうぞ,よろしく。